• 伊丹恵美

父のメモ書き

最終更新: 4月30日

先日観たドラマ『生きるとか死ぬとか父親とか』の1シーンで、若かりし頃の父を思い出した。ドラマは 吉田羊さん演じるラジオパーソナリティの元に、女性リスナーからFAXが届く。

『わりと若い頃からスキンヘッドの50代夫がある日、黒髪ふさふさのカツラを被って帰宅した。私も娘もどう声をかけてよいのか、夫がそれほど深く頭髪に悩んでいたとは知らず、また、本人を傷つけるような発言はしたくないが、違和感極まりないその頭部を受け入れられず、どう接してよいのかと毎日が憂鬱だ』 というもの。

結論は、そのご主人はコロナ禍の日常にユーモアをもたらしたいと思い、カツラを被ってみたという、なかかなユニークな夫婦の話だった。


私の父も若いころから髪が薄く、あれやこれやと趣味のように育毛剤を試していたが、その効果を実感した様子は無かった。娘は父の頭髪再生など期待したことも無ければ、幼いころからそれが普通で友達のお父さんと比べたことも、無かった。

が、私が24歳、父は50歳のある夏の日の日曜のこと。

私は庭で愛犬チャッピーのブラシをかけて家の中に何かを取りに行き、電話の横にある父の字で書かれたメモ書きが目に入った。それは…


【アートネイチャー フリーダイヤル 0120・・・・】


父が髪の毛のことを、気にしていたなんて。

比較的若くして結婚し、モーレツ社員の真面目な父が、ユーモアでアートネイチャーに電話したとは思えない。

このメモを見た姉や母が何と言うだろうか…?

4歳年上の姉は面白おかしく騒ぎ立て、母は今更なに!?と呆れるに違いない。

父が人知れず思い悩んでいたのかもしれないと思うと、娘心は切なかった。


カツラにするのか、増毛を試すのか? 尋ねる事もできず私はそのメモ紙を父の引き出しに、そっと閉まった。



あれから20年以上過ぎたある日の日曜、私は父に尋ねてみた。

「お父さんってさぁ、アートネイチャー試してみたかった?」

「もう諦めた」

「もう」には察するものがある。

振り返れば50歳の父は、頭皮がツルっとしていたものの、恐らく父の人生最大のモテ期で、母がキリキリザワザワしていた頃。

なんてツメが甘いんだ?!?!

娘は両親の冷戦を見るにつけ、父をそんな風に思っていた。

アートネイチャー。

あのモテ期が無かったら、父の美欲は芽生えなかったのだろうか・・・?



ブランド・セールスに関わる仕事をして、つくづく思う。 消費とは、人の欲望と結びつき、密かな欲望消費ほど、高価である。



どれくらい試したのだろう、、父。